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これは面白い。開発費はいらないから、ウチに作らせてくれ。 これは面白い。開発費はいらないから、ウチに作らせてくれ。

「コンピュータの数値制御でパイプ曲げの自動加工機ができないか」。そう声をかけたのは、トラックメーカーである日産ディーゼル工業の担当者。問いかけられた相手は、中央電機製作所(現オプトン)社長、與語照明だった。時に1974年。

当時としては最先端の4bitマイクロコンピュータを使用したCNC制御装置を開発したばかりだった與語。

これは面白そうだと、その瞬間に思ったという。パイプ曲げ加工と言えば、当時は職人による手作業の時代。

しかし、パイプ曲げ工場へ足を運び、調査を続けるごとに「数値制御が可能かもしれない」という予感を抱いた。

発明家としての血が騒ぎ出す。

「これは面白い。開発費はいらない。上手くいったら買ってもらえればいいから、ウチに作ら せてくれ」との言葉が飛び出た。

パイプ曲げ加工の世界に革命を起こしたオプトンのCNCパイプベンダーが、このとき、與語の頭の中ではすでに生まれていた。

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通って、通って、通い詰めると、さすがにお客さんも「もう全部教えてやるわ」となった。 通って、通って、通い詰めると、さすがにお客さんも「もう全部教えてやるわ」となった。

CNCパイプベンダー一号機の開発に挑んだ與語。しかし、制御装置のプロであっても、パイプ曲げ加工はズブの素人。

パイプ曲げ加工の自動機をつくるにも、どんな形の機械にすれば最適なのか?そもそも、パイプ曲げ加工とは細部にどんな技術が必要なのか?さっぱり分からない。

分からなければ聞くしかない、パイプ曲げ加工の現場をこの目に焼き付けるしかない。

当時の日産ディーゼルは、埼玉県の上尾市に工場があった。

そこへ、来る日も来る日も通い詰めた。

現場の人間に「何かいいアイデアはないか?」「どうやって加工しているのかもっと見せてくれ」と、しつこく聞いて回った。

あまりに食い下がるものだから、最初の頃は面倒くさそうに対応していた相手方の担当者も、「負けた。そこまで熱心なら、もうぜんぶ教えてやるわ」と根負けし、笑った。

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電気は目に見えない。だから、空想でやるわけだ。 電気は目に見えない。だから、空想でやるわけだ。

パイプを曲げるというのは、バネを曲げるのに似ている。一度曲げて、離すとピュッと戻ってしまう。

戻る分を考慮して機械に曲げ加工をさせないと、正確な曲げの精度が出せない。

パイプ加工業者でもなければ、当時は機械メーカーですらない、機械制御が専門の、いわば電気屋の與語には、この事実を理解することすら相当な時間が必要だった。

しかし、電気屋だからこそ開発に成功できたのだと、與語は言う。

機械のどの部分に何ボルトの電圧をかければ、どれだけの電流が流れて、どれだけのエネルギーで曲げ加工が行えるか、電気屋はすべてを空想でシミュレーションできる。

「電気は目に見えない、だから空想でやるわけだ。空想力が強いんだね」。

だからこそ、パイプ曲げ加工を理解できれば、それを電気の力に置き換えるのは可能なはずだと、信じて疑わなかった。

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なんだ、工作機械と言えども幼稚な連中だな。 なんだ、工作機械と言えども幼稚な連中だな。

1970年代、世の中の工作機械は数値制御で動く時代に入っていたが、制御方法はと言えば、紙テープにあけた穴から情報を読み取るアナログなものだった。

與語は密かに、(工作機械と言えども、テープにトントン穴をあけて機械制御しているなんて幼稚な連中だな)との思いを抱いていた。

そこで、CNCパイプベンダーの開発にあたっては、アメリカから取り寄せたインテル社の4bitマイクロコンピュータを使った。

入手できた十数個のマイクロコンピュータを使い、基板に回路をつくり、毎日実験を繰り返した末にどうやらテープレスを実現できそうなところまでたどり着くと、自分の選択したコンピュータという手法がテープ式よりもずっと優れていることが分かった。

「夜も寝ずに面白くやれたよね、寝るのがもったいなかった」。

工作機械においてテープ式数値制御が終わりを告げ始めたのは、その少し後のことであった。

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おい、今日、與語さん来るから布団敷いておけよ。 おい、今日、與語さん来るから布団敷いておけよ。

與語が日産ディーゼル工業の上尾工場に通い詰める日々が続いていた。朝から相手方の工場に入り、夜にはホテルの慣れない枕で眠り、翌朝にはまた顔を出した。

そんな日が続く中、日産ディーゼル工業の取締役製造部長が、ふと気になって與語に声をかけた。

「わざわざホテルに泊まるんだったら、ウチに来い」。

それから上尾にいる間は毎日、先方の家に泊まり込んだ。

奥方が振舞ってくれる料理を肴に、夜中まで話し込むこともしょっちゅうだった。

二人はすでに「お客様と業者」の関係ではなく、ともに開発に挑むパートナーになっていたのだ。

相手もこの開発に、サラリーマン人生を賭けていた。いつの間にか、與語が上尾に滞在する日には、その家の中で「今日、與語さん来るから、布団敷いておけよ」という会話が日常会話となっていた。

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開発秘話が、新聞に連載で一週間載った。 開発秘話が、新聞に連載で一週間載った。

開発期間はあしかけ2年。與語が心血を注いだ「自動車ブレーキチューブ曲げ加工用CNCパイプベンダー」の一号機が完成した。

時に1976年。すると、日産ディーゼル工業に出入りをしていた日刊工業新聞の記者から「記事に取り上げたい」と依頼が来た。

反響は徐々に広がり、1977年には日刊工業新聞社主催の『日本十大新製品賞』を受賞。

その開発秘話が紙面上にて、一週間に渡って連載されるに至り、CNCパイプベンダーの評判は日本全国へと爆発的に広がっていった。

「たかが制御屋が、機械も込みで開発したらしい」「紙テープ式からコンピュータ制御でテープレスを実現した、それも、中小企業が自分たちでやったらしい」「瀬戸にハイテク企業あらわる!」。

全国各地、30社あまりの企業から新たな問い合わせがひっきりなしに舞い込み、対応に駆け回った。

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おまえら、会社を辞めるか、機械屋になるか、どっちにする? おまえら、会社を辞めるか、機械屋になるか、どっちにする?

CNCパイプベンダーの問い合わせが続く中、與語は、東北から九州と日本全国を回った。見えてきたのは、パイプ加工業界の現状だ。

日産ディーゼル工業に納めたパイプベンダーで加工できるのは、パイプの直径がせいぜい10φ(10mm)程度のもの。

しかし、パイプ加工業界を広く見渡してみると、直径の太さも、加工の複雑さも多種多様。ひとつの機械で対応できるはずもなく、あらゆるパイプ加工に対応するCNCパイプベンダーシリーズの開発を決めた。

そして、社員に問うた。当時は従業員数50〜60人の全てが電気系の技術者である。今後はパイプベンダーメーカーとして、制御技術を合わせ持つ機械メーカーになる必要があった。

「おまえら、会社を辞めるか、機械屋になるか、どっちにする?」。

ほとんどの社員が「パイプベンダーをつくりたい」と言ってくれた。当時の名古屋市守山区の社屋が手狭になり、1982年に瀬戸市へ移転。新たなスタートであった。

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片っ端から買い取るから、これから2年間はよそに納めないでくれ。 片っ端から買い取るから、これから2年間はよそに納めないでくれ。

1980年代前半、CNCパイプベンダーの好調が続いていた。

パイプ曲げ加工の精度が職人の「カンやコツ」のみに頼っていた時代、もし、腕のいい職人が休んでしまえばそれだけで精度も生産量も落ちてしまう。

ところが、パイプベンダーを使えば精度も生産量も格段に向上する、人力に頼らずに高精度の生産力を確保できるとあって、飛ぶように注文が入った。

通常は自社工場でテストをした後に、改めて納入先の工場へ設置し現地でもテストをするのだが、「待っていられない」と、直接引き取りに来る取引先も現れた。

「説明も要らないからこのまま持っていく」と言う取引先をなだめるのに苦労した。

国内の自動車関連部品メーカーへと瞬く間に広がり「片っ端から買い取るから、これから2年間はよそに納めず、ウチのものだけつくって欲しい」という話も舞い込んだほどだが、流石にそういう訳にはいかなかった。

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機械をロボットにすると、どうだ。 機械をロボットにすると、どうだ。

1990年代に入り、CNCパイプベンダーの制御技術は究極まで極めた。

じゃあ次は、機械をロボットにすると、どうだ。

ロボットアームでパイプ曲げ加工を行う利点は、何よりも動作の自由度と省スペースにある。従来のCNCパイプベンダーでは、長いパイプを加工用の金型まで送り込むための胴体部が必要であり、大がかりな装置にならざるを得なかった。

しかも、パイプに付属部品などが付いていると機械に流し込めない。

ところがロボットであれば自由自在である。

アームでパイプの好きな箇所を掴んで曲げ加工を行えば良いので、長い胴体部が必要なく、パイプに付属部品がついていたとしても、アームの動作を自由に変えられるために問題はない。

いわば、人間の手で加工しているのと同じだけの自由度がある。

こうした自由自在な動きを制御するには非常に高度な制御技術が必要だが、オプトンにはそれがあった。故に、ロボットベンダーは今でも、オプトンのオンリーワン製品であり続けている。

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「曲げ加工の標準化工法」ってのは、我々が作ったと腹の底では思っとる 「曲げ加工の標準化工法」ってのは、我々が作ったと腹の底では思っとる

2000年代に入り、オプトンのCNCパイプベンダーやロボットベンダーは、パイプ曲げ加工業界のスタンダードとなった。

今や、オプトンのパイプベンディングマシンが無ければ、モノづくりにおけるパイプ加工工程は考えられないと言ってもいい。

「もし、俺たちが居なかったらこの業界はどうなっとっただろう」と與語は語る。もし、電気制御の分からない機械メーカーがつくっていたら、どうなっていたか。

切削加工など他の工作機械に追いつくまでに、いったいどれだけの時間がかかっていたのか。いや、あるいは、パイプ曲げ加工はいまだに職人の手作業に頼っていたかもしれない。

数値制御が専門の電気技術者である我々がつくったからこそ、これだけの早いスピードでパイプ加工業界のレベルを押し上げられたという自負がある。

「パイプ曲げ加工の標準工法は、我々がつくったと、腹の底では思っとる」。

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パイプ加工業界、加工だけではいかんのだな、測定法も作らないとダメだ。 パイプ加工業界、加工だけではいかんのだな、測定法も作らないとダメだ。

オプトン製のパイプベンディングマシンがパイプ加工業界の主流となり始めていた頃、顧客から「オプトンさんの機械で加工しているけど、うまく精度が出ない」という声を聞くようになった。

どういうことかと複数の工場を訪ねていくと、加工品の測定法がバラバラなのである。

出荷前の品質チェックとして製品測定は欠かせない工程だが、「グニャグニャに曲がったパイプ」の曲がり角度などを正確に測定するには、きちんとした手順も技術も必要である。

そのときに與語は、「パイプ加工業界、加工だけではいかんのだな、測定法も作らないとダメだ」と痛感し、乗り出したのが3Dカメラを使った測定機の開発だ。

加工後の製品を3Dカメラで撮影し、取り込んだ3Dデータを3DCAD図面と比較すれば、製品の精度が一発でわかる。

1990年頃から新技術の研究に着手し、1994年にモアレ式非接触3Dカメラの開発に成功。中小企業優秀技術新製品賞を受賞した。

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こんなものを作ることになるとは、思わなかった。 こんなものを作ることになるとは、思わなかった。

2010年代に入ると、オプトン製の非接触3D測定機が思わぬ形で脚光を浴びることとなった。3D測定機は、そもそもパイプ加工品の測定用に開発したものである。

しかし、とあるきっかけからプレス加工品のインライン全数検査に活用できないか、という話が持ち上がった。たとえば自動車のドアなどのボディ部品はそのほとんどが金属プレスで製造されている。しかし、製品のキズ・へこみなどの品質チェックは人間の目視によって賄われているという。

1日に何百、何千もの製品が流れてくる工場ラインの中で、すべてを目視で検査するのは相当な労力が必要であり、これを機械で賄えればプレス業界に革命を起こせるというのだ。

白羽の矢が立ったのが、オプトンの3D測定機だ。

しかし、パイプとはちがう大物のプレス部品、しかも、次から次に流れてくる製品のすべてを3D撮影し、データ上でチェックを行わなければならない。

開発に際する課題は多いが、またしても與語の発明家の血が騒ぎ出していた。

「20年来やってる方法だけど、こんなものを作ることになるとは思わなかった」というその目は、楽しそうに輝いていた。

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